カジミール・マレーヴィチ|シュプレマティズムの創始者とその影響

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カジミール・マレーヴィチは、20世紀初頭の抽象芸術における重要な人物であり、シュプレマティズムの創始者として広く知られています。彼の代表作「黒の正方形」は、従来の絵画の概念を打ち破り、純粋な感情と精神性を表現する新しい視覚言語を確立しました。本記事では、マレーヴィチの生涯と彼の革新的な作品、そしてシュプレマティズムが後世の芸術に与えた影響について詳しく探ります。

基本的な情報

  • フルネーム: カジミール・セヴェリノヴィッチ・マレーヴィチ(Kazimir Severinovich Malevich)
  • 生年月日: 1879年2月23日(ユリウス暦2月11日)
  • 死没月日: 1935年5月15日
  • 属する流派: シュプレマティズム(絶対主義、至高主義)
  • 国籍: ウクライナ(ポーランド人家庭に生まれる)
  • 代表作:
  • 「黒の正方形」(1915年)
  • 「白の上に白」(1918年)​​

生涯

革命後の活動と教育

カジミール・マレーヴィチは1917年のロシア革命後、芸術活動の新たな局面を迎えました。革命直後、彼はナルコンプロス芸術コレギウムや記念碑保護委員会、博物館委員会などのメンバーとして活躍しました。これらの役職を通じて、彼は新しい社会主義体制下での芸術の方向性に影響を与えることを試みました。

1919年から1922年にかけて、マレーヴィチはベラルーシのヴィテブスク実践美術学校で教鞭をとり、ここで後の著名な芸術家であるマルク・シャガールと共に働きました。この時期、彼は自身のシュプレマティズムの理論を広めるとともに、学生たちに新しい芸術の可能性を追求するよう指導しました。

その後、彼はレニングラードの芸術アカデミーやキエフ美術館など、複数の教育機関で教鞭を執りました。特に1928年から1930年にかけては、キエフ美術館でアレクサンダー・ボゴマゾフやヴィクトル・パルモフなどの同僚と共に教育活動を行い、ハリコフの雑誌『新世代』に記事を発表するなど、多方面で活動を続けました。

晩年とスターリン政権下での困難

スターリン政権下での政治的な圧力と困難に直面し、彼の晩年は大変厳しいものでした。1930年代に入ると、ソビエト連邦は芸術に対する保守的な方針を強め、前衛的な作品は次第に弾圧されていきました。特に、マレーヴィチのような抽象画家は、政府からの圧力を強く受けました。彼の作品は没収され、展示は禁止されました。

1930年にはポーランドとドイツへの旅行の疑惑で逮捕され、数ヶ月間投獄されました。この出来事は彼の精神に大きな打撃を与え、以降は監視下での生活を余儀なくされました。1935年に癌で亡くなるまでの数年間、マレーヴィチは具象画に戻らざるを得ませんでしたが、それでもなお彼の作品には独自の抽象的な要素が残されていました。

晩年、彼の健康は悪化し続け、創作活動も制限される中、彼は自身の芸術理念を貫こうとしました。彼の死後も、彼の影響力は途絶えることなく、多くの後世のアーティストに影響を与え続けました。スターリン政権下での困難にもかかわらず、マレーヴィチの遺した作品と理念は、今日でも高く評価されています。

代表作

『黒の正方形』(1915年)

『黒の正方形』は、抽象芸術の歴史において特筆すべき作品です。この作品は、1915年に制作され、ペトログラード(現在のサンクトペテルブルク)で開催された「最後の未来派展010」で初めて公開されました。黒い正方形は、キャンバスに描かれたシンプルな黒い四角形であり、その背後には深い哲学的な意味が込められています。

マレーヴィチは、この作品を通じて物質的な世界からの解放と純粋な感情の表現を目指しました。彼の理念によれば、『黒の正方形』は「ゼロからの出発点」を象徴し、従来の芸術概念を打ち破るものでした。この作品は、自然の形や具体的な対象を排除し、抽象的な形態の持つ力を強調しています。

また、『黒の正方形』は、ロシア・アヴァンギャルド運動の中で重要な位置を占めており、その影響は後世の芸術家たちにも大きな影響を与えました。作品の背後にある思想や革新性は、多くの批評家や歴史家によって評価され続けています。

『白の上に白』(1918年)

『白の上に白』は、彼のシュプレマティスム(絶対主義)の理論を極限まで追求した作品です。1918年に制作されたこの絵画は、白いキャンバスの上にかすかに異なる白い正方形を重ねることで構成されています。この作品は、色彩や形状の制約から完全に解放された純粋な抽象芸術を象徴しています。

『白の上に白』は、見る者に極限まで削ぎ落とされた美の形を示し、絵画における対象の存在を問いかけます。物体や具体的なイメージを排除し、純粋な感覚や精神性に焦点を当てることで、観る者の内面的な反応を引き出そうとする試みです。この絵画は、シュプレマティスムの理念を体現するものであり、抽象芸術の新たな地平を切り開く重要な作品として評価されています。

マレーヴィチはこの作品を通じて、芸術が持つべき究極の自由と純粋性を追求しました。『白の上に白』は、彼の芸術観が結実したものであり、20世紀の抽象芸術に多大な影響を与えました。この作品は、ニューヨーク近代美術館に所蔵されており、現代美術の歴史において重要な位置を占めています。

作風の特徴

シュプレマティズムと新造形主義

1915年に彼は「キュビスムからシュプレマティズムへ」と題したマニフェストを発表し、これをもってシュプレマティズムの基礎を築きました。シュプレマティズムは、純粋な感情と精神性の表現を追求するマレーヴィチが創始した芸術運動です。

この理念は、自然の形や物体の再現から離れ、幾何学的な形状と色彩の関係を通じて感情を表現することにあります。マレーヴィチは、シュプレマティズムを「純粋な感情の至高性」として位置づけ、物質的な世界から解放された絶対的な自由を追求しました。

彼の代表作である『黒の正方形』や『白の上の白』は、この理念を象徴する作品で、徹底的に抽象的であり、物体や自然の模倣を排除しています。マレーヴィチは、これらの作品を通じて、物体の存在を否定し、視覚的な要素のみで感情を伝達することを試みました。

シュプレマティズムはまた、芸術が持つ精神的な力を強調し、観る者に新たな感覚や認識を呼び起こすことを目指しています。この運動は、20世紀初頭のロシア・アヴァンギャルド運動の一翼を担い、後のミニマリズムや抽象芸術に多大な影響を与えました。シュプレマティズムは、芸術が持つ可能性を再定義し、純粋な形と色彩による新たな表現の領域を切り開いたのです。

色彩と形態の抽象化

彼の作品は、自然の形態や客観的な主題から離れ、純粋な感情の表現を追求するものでした。彼の代表作「黒の正方形」や「白の上の白」は、幾何学的な形態と色彩の関係性を探求し、徹底した抽象化を実現しました。

マレーヴィチは、初期には印象派や象徴主義、フォービズムなどの影響を受けましたが、徐々にスタイルを簡素化し、最小限の背景の中で純粋な形態を追求するようになりました。彼のシュプレマティスム(至高主義)の理念は、芸術が物質的な現実から解放され、精神的な自由を得ることを目指していました。このアプローチにより、彼は従来の絵画の枠を超え、新しい芸術表現の可能性を切り開きました。

彼の色彩と形態の探求は、単なる芸術的手法の変革にとどまらず、観る者に新しい視覚的な世界を提示するものでした。マレーヴィチの作品を通じて、色彩と形態の抽象化がもたらす無限の可能性が示され、現代美術の発展に大きく寄与しました。

エピソード

『黒の正方形』制作時のエピソード

『黒の正方形』は、抽象芸術の歴史において画期的な作品です。この作品が誕生するまでの過程には、多くの試行錯誤と深い精神的な探求がありました。マレーヴィチは、従来の絵画表現を超越し、純粋な幾何学的形態と色彩の関係性を追求することに没頭していました。

『黒の正方形』は、その象徴的な形状と色彩の単純さが、芸術における「ゼロ地点」として位置づけられ、新しい視覚的言語の創造を目指すものでした。

この作品が制作された背景には、当時の芸術界における急進的な変革の風潮がありました。マレーヴィチは、ピカソやマティスといった西洋の前衛芸術家たちから影響を受けつつ、自らの芸術理論「シュプレマティズム」を発展させました。『黒の正方形』は、その理論の具現化であり、物質的な対象から解放された「純粋な感情の至高性」を追求した結果でした。

制作過程では、マレーヴィチは数週間にわたってほとんど食事や睡眠を取らず、精神的に非常に過酷な状態にありました。彼の弟子たちは、彼がこの作品に込めた意味と重要性を理解し、彼の情熱と献身に深く感銘を受けたと言います。『黒の正方形』は、単なる絵画作品ではなく、芸術家の内面の葛藤と探求の結晶として、今もなお高く評価されています。

レニングラードでの逮捕と釈放

スターリン政権下での政治的抑圧の犠牲となりました。1930年秋、彼はレニングラードの秘密警察によって逮捕されました。彼はポーランドのスパイ活動の容疑をかけられ、尋問の中で処刑の脅迫を受けました。マレーヴィチの逮捕は、スターリン時代のソビエト連邦における前衛芸術家への弾圧の一環でした。政府は抽象芸術を「ブルジョア的」とみなし、社会主義リアリズム以外の芸術を厳しく取り締まりました。

逮捕後、彼は約2ヶ月間拘留されましたが、12月初旬に釈放されました。釈放後も彼の活動は厳しく制限され、彼の作品の多くは没収されました。この経験は彼に深い影響を与え、彼の後年の作品にはこの時期の苦難が反映されています。

この時期のマレーヴィチの作品は、具象的なスタイルに戻ることを余儀なくされましたが、彼の創造力は衰えることなく、新たな表現を模索し続けました。彼の逮捕と釈放は、彼の人生とキャリアにおける重要な転機であり、彼の芸術に対する情熱と信念をさらに強固にした出来事でした。

カンディンスキーからの影響

カジミール・マレーヴィチは、芸術的キャリアの中で多くの影響を受けました。その中でも重要な人物の一人が、ワシリー・カンディンスキーです。カンディンスキーは抽象芸術のパイオニアとして知られ、彼の作品と理論はマレーヴィチの創作活動に大きな影響を及ぼしました。

カンディンスキーの理論は、色彩と形状の純粋な表現を追求し、芸術を精神的な領域へと引き上げるものでした。これはマレーヴィチのシュプレマティズムの理念と共鳴し、彼の作品においても見られる純粋な幾何学的形態の使用に反映されています。特に、マレーヴィチの有名な作品「黒の正方形」は、カンディンスキーの影響を受けた抽象絵画の一例と言えるでしょう​​。

カンディンスキーは、1911年にブルーノ・タウトやフランツ・マルクと共に表現主義芸術家グループ「青騎士」を設立しました。このグループの活動は、マレーヴィチを含む多くのロシア前衛芸術家にとって重要なインスピレーションの源となりました。彼らの展覧会や出版物は、抽象芸術の理論と実践において新たな視点を提供し、マレーヴィチのシュプレマティズム運動の発展にも寄与しました​​。

カンディンスキーとの交流を通じて、マレーヴィチはより深く抽象的な表現を探求するようになり、その結果、彼の作品はより純粋で幾何学的な形態へと進化しました。この芸術的進化は、マレーヴィチがカンディンスキーから受けた影響を如実に物語っています。カンディンスキーの理論と実践がなければ、マレーヴィチのシュプレマティズムはその完成に至らなかったかもしれません​​。

評価

20世紀抽象芸術への影響

彼の創始したシュプレマティズムは、物質的な対象から完全に離れた表現を追求し、純粋な幾何学的形態と色彩の関係性に焦点を当てました。1915年に発表された代表作『黒の正方形』は、具体的な意味を排した抽象画の一つの到達点として評価されています。この作品は、従来の芸術の枠組みを打ち破り、新しい視覚表現の可能性を提示しました。

マレーヴィチの理論と作品は、ロシア・アヴァンギャルドの他の芸術家たちにも大きな影響を与えました。エル・リシツキーやリュボフ・ポポワ、アレクサンダー・ロドチェンコなどの同時代のアーティストは、彼のシュプレマティズムの理念を取り入れ、さらなる抽象表現の探求に貢献しました。また、マレーヴィチの影響はロシア国内にとどまらず、ヨーロッパ全体にも広がり、後のミニマリズムやコンセプチュアル・アートにまで波及しました。

特に、マレーヴィチの作品と理論は、アメリカの抽象表現主義やヨーロッパのコンストラクティヴィズムに対しても深い影響を与えました。アド・ラインハルトやバーネット・ニューマンといったアーティストたちは、彼の追求した純粋な形と色の概念を自らの作品に取り入れ、抽象芸術の新たな展開を生み出しました。マレーヴィチの革新は、20世紀の芸術史においてその名を刻み、現代美術の発展に大きな貢献を果たしたのです。

死後の再評価と展示

カジミール・マレーヴィチは1935年に亡くなりましたが、彼の芸術的遺産はその後再評価され、様々な展示会で広く紹介されました。特に注目すべきは、1936年にニューヨーク近代美術館で開催された「キュビズムと抽象芸術」展で、彼の抽象絵画が多くの人々に感銘を与えました。1973年には、ソロモン・R・グッゲンハイム美術館でアメリカ初のマレーヴィチ回顧展が開催され、彼の影響力が再確認されました。

さらに、1989年にはアムステルダム市立美術館で西洋における大規模な回顧展が行われ、マレーヴィチの作品は再び注目を集めました。これにより、彼の抽象芸術は20世紀美術の重要な位置を占めることが確認されました。1990年代には、マレーヴィチ作品の所有権をめぐる法的論争が相次ぎ、彼の芸術的価値が改めて見直されました。

これらの展示会や論争を通じて、マレーヴィチの作品は多くの美術館に収蔵され、彼のシュプレマティズムや抽象芸術の影響は次世代のアーティストにも引き継がれています。特にニューヨーク近代美術館やグッゲンハイム美術館、アムステルダム市立美術館には彼の主要な作品が所蔵されており、訪れる人々に彼の革新性を伝え続けています。

作品が見れる場所

モスクワの国立トレチャコフ美術館

マレーヴィチの多くの作品が収蔵されているモスクワの国立トレチャコフ美術館は、ロシアの芸術史において重要な役割を果たしてきました。この美術館は、19世紀のロシアの商人パーヴェル・トレチャコフによって設立され、彼の膨大なコレクションを基礎として発展しました。

トレチャコフ美術館は、ロシアの芸術家たちの作品を広く収集・展示しており、特にロシア・アヴァンギャルドの巨匠であるマレーヴィチの作品が数多く展示されています。

マレーヴィチの代表作である「黒の正方形」や「白の上の白」などのシュプレマティスム作品は、この美術館で目にすることができます。彼の作品は、20世紀初頭のロシアにおける前衛芸術運動の象徴であり、抽象芸術の発展に大きな影響を与えました。トレチャコフ美術館では、マレーヴィチの作品を通じて、彼が追求した純粋な抽象性や精神的な理念を鑑賞することができます。

また、この美術館は、ロシアの文化遺産を後世に伝えるための重要な機関でもあります。マレーヴィチ以外にも、シャガールやカンディンスキーなどの著名なアヴァンギャルド芸術家の作品も展示されており、訪れる人々にとって貴重な芸術体験を提供しています。トレチャコフ美術館は、ロシアの芸術と文化を深く理解するための必見のスポットとして、多くの芸術愛好家に親しまれています。

ニューヨーク近代美術館

ニューヨーク近代美術館(MoMA)は、カジミール・マレーヴィチの作品の展示と保存において重要な役割を果たしています。特に、彼の代表作の一つである「白地に白(1918年)」は、MoMAのコレクションに含まれており、その展示は彼の至上主義(シュプレマティズム)の理念を広く紹介するものとなっています。この作品は、ほとんど区別がつかないオフホワイトの四角形が白い背景に描かれており、純粋な抽象化の追求を象徴しているのです。

アルフレッド・H・バー・ジュニアによって1936年に開催された画期的な展覧会「キュビズムと抽象芸術」では、マレーヴィチの数点の絵画が出品されました。この展覧会は、彼の芸術が西洋の美術界においてどのように受け入れられ、影響を与えたかを示す重要なイベントだったのです。また、1973年にはソロモン・R・グッゲンハイム美術館で米国初のマレーヴィチ作品の回顧展が開催され、多くの関心を集めました。

まとめ

カジミール・マレーヴィチは、シュプレマティズムを通じて芸術における新たな地平を切り開きました。彼の作品は、物質的な世界からの解放を目指し、純粋な形態と色彩を通じて感情を表現するものでした。スターリン政権下での弾圧や困難にもかかわらず、マレーヴィチの理念と作品は多くの芸術家に影響を与え続けています。彼の革新は20世紀の抽象芸術の基盤を築き、今日でもその重要性は失われることなく、美術史に刻まれています。

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